第15回殿堂入り(平成23年度)
若井はんじ・けんじ漫才師
若井はんじ(ワカイ ハンジ) 昭和8年(1933)~昭和51年(1976)享年42歳
若井けんじ(ワカイ ケンジ) 昭和10年(1935)年~昭和62年(1987)享年52歳
二人は兄弟。両親は漫才師の荒川久丸・小夜子。
昭和21年(1946)、はんじが荒川照坊と名乗り、両親とのトリオ漫才で初舞台を踏む。
1年後、父が亡くなり母とコンビを組む。
昭和23年(1948)、けんじとコンビを組み、荒川福児・笑児として兄弟漫才で売り出す。
昭和34年(1959)、デイトチック・ヤングと名前を変えて再デビュー。
漫才作家・秋田實の指導を受け、昭和35年(1960)10月、道頓堀・角座にて若井はんじ・けんじと改名した。
スピード感ある洗練された漫才で瞬く間に注目を集め、「アタマの先までピーコピコ!」や「ごめんネ」のギャグが流行語になる。
愛称は「はんけん」。毎日放送『ダイビングクイズ』の二代目司会者(昭和39年(1964)10月~昭和48年(1973)3月)としても人気を博した。
昭和51年(1976)、はんじが病没してしまい、けんじは同じく相方を亡くした上方柳次とコンビを結成するが間もなく解散。その後、事業家に転身。
昭和58年(1983)には東大阪市議に初当選。
昭和62年(1987)、漫談家として芸能界に復帰した直後、交通事故で亡くなった。