第1回殿堂入り(平成8年度)

横山エンタツ・花菱アチャコ漫才師

横山エンタツ(ヨコヤマ エンタツ)明治29年(1896)~昭和46年(1971)享年75
花菱アチャコ(ハナビシ アチャコ)明治30年(1897)~昭和49年(1974)享年77

大正・昭和期の漫才師。
昭和初期より、それまでの「色もの万歳」を「しゃべくり漫才」に変えた近代漫才の元祖。
エンタツは、初め喜劇の時田一瓢一座に加わり、横山瓢と名乗り、さらに堀越一蝶一座で横山太郎と名乗り旅廻りを続けた。
その後、万歳に転じ、上京。浅草界隈を根城に活躍。浅草蔵前にあった煙突とひょろっと高いからだつきが似ていることからエンタツに改めた。
アチャコは新派の山田九州男一座に入り、顔が喜劇に向いていると鬼笑会に転じ、神戸を中心に旅興行を続け、その後、万歳に転じ、浮世亭夢丸、次いで千歳家今男と組み、吉本興行部に所属した。
昭和5年、エンタツ・アチャコのコンビを結成。しゃべくり一本槍の漫才をはじめたがなかなか受け入れられず、「唄を歌え」「ひっこめ」と野次られ舞台で立往生という場面もあった。
しかし、次第に新しい漫才芸を確立し、「早慶戦」のヒットで人気漫才のトップに立った。
昭和9年、アチャコの病気入院によりコンビは解消したが、その後映画ではコンビ出演し、戦後のラジオドラマでも、それぞれに活躍、お茶の間を沸かせた。