第25回殿堂入り(令和3年度)

初代 真山一郎(ショダイ マヤマイチロウ)浪曲師

昭和4年(1929)~令和3年(2021)享年92歳

山口県出身の真山一郎さんは、高校を卒業後に上京しました。

1947(昭和22)年に浪曲師華井新の門下となり、華井満、華井新十郎を名乗り、1957(昭和32)年には、真山一郎に改名します。

一時期、浪曲界から離れ、1961(昭和36)年に歌手として「番場の忠太郎」や「刃傷松の廊下」をヒットさせ、1967(昭和42)年に浪曲界に復帰します。

相三味線にかわって、オーケストラ伴奏を音源に取り入れた「演歌浪曲」のスタイルを確立し、1971(昭和46)年には、実在の事件を題材にしたドキュメンタリー浪曲の「日本の母」を大ヒットさせました。上方浪曲四天王の一人として、昭和の浪曲界を盛り上げました。

数期に渡って浪曲親友協会の会長をつとめた真山一郎さんは、2010(平成22)年に大阪・国立文楽劇場で引退公演を開催し、惜しまれつつ、引退されました。