収蔵品コメント
・収蔵資料の閲覧には所定の申請書によるお申込みが必要です。閲覧をご希望の方は、あらかじめお電話等でご相談ください。 ただし、図書のうち、「上方演芸資料館で閲覧できる所蔵図書一覧」に記載のあるものについては、お申込み手続…
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【コロナウイルス感染対策の取組みについて】 ワッハ上方では、新型コロナウイルス感染拡大防止対策を行って開館しています。ご入館にあたっては、拡大防止対策にご理解・ご協力をお願いします。 ご来館される皆様へ ご協力のお願いに…
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こちらの著書の説明などが入ります。
英語‗利用説明 本文テストです。
長女の正司歌江・次女の照枝・三女の花江のトリオで「かしまし娘」として昭和31年(1956)にデビュー。歌江の三味線、照枝・花江のギターの和洋混合の音楽漫才ショーで、民謡から当時の流行の音楽まで幅広く取り入れた。 音楽家も…
二代目桂春団治の長男として生まれ、戦後の上方落語の復興に尽力。後に、四天王の一人と呼ばれ親しまれるなど、今日の上方落語の隆盛に大きな功績を残す。 昭和34年(1959)に29歳の若さで三代目桂春団治を襲名。どんな舞台でも…
二代目吉田奈良丸と初代春野百合子を両親に持った、女流浪曲の第一人者。 東京の昭和女子薬学専門学校(現・昭和薬科大学)に進学していたが、母の急逝後に浪曲界に入り、昭和23年(1948)に道頓堀中座での初舞台で二代目を襲名。…
戦後の漫才最盛期に活躍した漫才コンビ。秋田AスケBスケは、秋田實が開いた漫才道場の第一期研修生となり、同じく門下生となった蝶々・雄二、ワカサ・ひろし、いとし・こいしらとともに、爆発的な人気を博す。 また、漫才師がバラエテ…
昭和35年(1960)~昭和45年(1970)代にかけて、岡八郎とともに、吉本新喜劇の黄金時代を築いた立役者の一人。横山エンタツ氏の子息として、大阪市に生まれる。昭和37年(1962)、吉本新喜劇に入団し、翌年から早くも…
大阪府堺市の生まれ。初代浅田家日佐丸に入門し、実兄の平和日佐治と平和日佐一の名でコンビを組む。それぞれ後に日佐丸とラッパに改名。昭和29年(1954)に兄が死に、相方の日佐丸は変わるが、ラッパの個性が強いせいか、日佐丸は…
昭和30年代に入って、女流浪曲師が混じっての音曲漫才の活躍が目立った。中でも夢路が浪曲から漫才に転じて演じたトリオの「ロマンショー」が注目を浴びた。浪曲の「浪」と「漫才」の「漫」を合体してのショーというわけである。洋児が…
京都市出身。少年時代の頃から物真似が得意で、有名人の「声帯模写」をして遊ぶ。 学生時代にアメリカ映画で見た腹話術師の演技に魅せられ、自ら人形を工夫して腹話術を始め出す。後に、人形相手に漫才的対話をかわす寄席芸としての腹話…
近江八幡市出身。子どもの頃から漫画を描くのが好きで、学生時代から新聞等に投稿する。 戦時は従軍し、戦後、進駐軍のキャンプや舞台でジャズや映画音楽をバックに漫画ショーを演じる。その後、寄席の舞台で音楽に合わせて即興で漫画を…
昭和40年代の上方漫才の黄金時代を代表する人気コンビ。 二人ともに喜劇の一座に属していたが、昭和32年(1957)に漫才コンビを結成した。 「デボチン」の愛称で親しまれた柳太がボケ、二枚目の柳次がツッコミと、両者の個性の…
吉本新喜劇を代表するコメディアン。昭和34年(1959)4月、吉本新喜劇の前身である吉本ヴァラエティに第一期研究生として入団、本名の市岡輝夫で初舞台を踏む。 翌年4月、漫才師の浅草四郎とコンビを組み、岡八郎として大いに売…
昭和22年(1947)、二代目桂春團治に入門して春坊となる。 昭和35年(1960)、二代目桂小春團治となり、昭和43年(1968)に二代目露乃五郎を襲名。 昭和62年(1987)、亭号を「露の」と改める。 八代目林家正…
二人は兄弟。両親は漫才師の荒川久丸・小夜子。 昭和21年(1946)、はんじが荒川照坊と名乗り、両親とのトリオ漫才で初舞台を踏む。 1年後、父が亡くなり母とコンビを組む。 昭和23年(1948)、けんじとコンビを組み、荒…
兵庫県姫路市出身。昭和18年、作家で寄席研究家の正岡容に師事。 昭和22年9月、四代目桂米團治に入門、米朝となる。 昭和38年、芸術文部大臣奨励賞受賞。 昭和46年7月、大阪サンケイホールにて「第1回桂米朝独演会」開催。…
父・横山東六さんは昭和3年(1928)、関西交響楽団に入団、昭和8年(1933)に陽気屋東六の芸名で漫才師としてデビュー。 妻・登志子さんとコンビを組んだ後、昭和11年(1936)、音楽に笑いを取り入れた「トウロクショウ…